今回の公演のメインになる交響曲『新世界より』。
その曲の作者は皆様ご存じのようにドヴォルザークですが、この曲はいったい、どのような背景から生まれたのでしょう。(S.I)さんより、ドヴォルザークについての略歴や人となりについて、以下の記事を寄せてくださいました。
ー2021年8月 にも通信『架け橋』より こぼれ話 3 ー
ドヴォルザークは1841年9月8日生まれ、今年で生誕180年を迎えることになります。
家業を継ぐのが当たり前の時代、肉屋兼宿屋、居酒屋を営む家庭の8人兄弟の長男として生を受けます。
チェコは昔から、ヨーロッパの音楽学校といわれてきたほど、その国民は音楽的な才能に恵まれていることで知られており、父親はツィターの名手、近くの町の伯父もトランペットの名手として知られていたといいます。
そんな中ドヴォルザークは、貧しいながらも肉屋の修行の傍ら、まわりの人々の支援を受けながら、地道な努力を重ねて作曲家になり、着実に一歩一歩階段を上るように才能を開花させていきました。
■ドヴォルザークが親しんだ音楽
幼少期:
教会音楽と民族舞踊
学生時代:
古典音楽とワーグナーなどの現代音楽
スメタナとの出会い:
チェコ国民の精神を培う
オペラ、合唱から:
メロディーとハーモニーのセンスを磨き
ブラームスとの親交:
民族的音楽と構成力のエッセンス受け取る
渡米して:
黒人霊歌、先住民、開拓者の音楽に触れる
このように、アメリカの地で作曲された『新世界より』は、ドヴォルザークがこれまで吸収してきた音楽の集大成だとされるのが理解できます。
■ルーティン
1日最低でも40小節の作曲。そして、駅へ機関車を眺めに行くこと。暇さえあれば出かけるほどの、無類の鉄道好きだったと言われています。
また、機関車の外観や型式を覚えるのが大好きで、時間を見つけては模型を作り、運行ダイヤにも興味を持ち、機関士や車掌の名まで覚えた、という徹底ぶりでした。
ドヴォルザークは、熱心に請われ、また高待遇でもあり、ニューヨーク・ナショナル音楽院の校長就任に同意しますが、大陸横断鉄道への憧れが強かったのも理由の一つではともいわれています。
更にNYでは汽船にも夢中になり、波止場へ通ったといいます。
■鉄オタぶりのエピソード
・ある時、乗車している列車の音がいつもと違うことに気づき車掌に連絡し、故障による大事故を未然に防いだ。
・多忙で自分が行けない時、弟子で娘の婚約者でもあったスークを、駅に行かせ蒸気機関車の車両番号を見てくるよう言いつけたものの、鉄道に興味のないスークは炭水車の番号を覚えてきてしまう。激怒したドヴォルザークは、「こんな間抜けな男と結婚して大丈夫か?!」とあらぬ方向に怒りをぶつけた...という。(のち無事に結婚!)
・極めつけとして、「本物の機関車が手に入るなら、今までに自分が作ったすべての曲と取り替えてもかまわない」とつぶやいたという逸話まである。
…ということで、この交響曲の随所に彼の愛した汽車や汽船を連想させる効果音を聴くことができます。
そこで改めて『新世界より』は、彼の半生で親しんで来た有形無形のものがモチーフとなり宝石箱の如く散りばめられた珠玉の作品であると加筆したいと思います。(S.I)
ドヴォルザーク直筆の楽譜↑
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