このプロジェクトに取り組みたいと最初に声を上げたのは、現在代表を務めている小林裕子です。
彼女はアメリカスプリングバレーでオイリュトミーを学び、当時の教師であったドロテア・ミアーさんの指導の下、まさに今、我々が取り組んでいる「新世界より」の曲でオーケストラオイリュトミーのプロジェクトに参加しました。
その当時のツアーの経験を、皆さんとシェアしたいと思います。
―2022年3月 にも通信『架け橋』6号 本文よりー
2005年オーケストラオイリュトミー公演ツアーの思い出
2002年頃から始まった公演準備を経て、2005年8月13日、ミシガン州アナーバー(北米人智学協会本部がある)でのプレミアを皮切りに、この公演ツアーは同年9月11日から10月16日までの間にアメリカ・カナダ、 ドルナッハの16か所で全18公演行われた。
オイリュトミスト 27名、指揮者1名、朗唱家3名、ピアニスト1名、照明家1名、音楽家2名 総勢 35名。この大所帯が飛行機や車で各地を移動しつつ、1か月もの間寝食を共にし、混乱を来すことなく集中して公演に向かうために、私達は役割分担をしながら日々を過ごした。
私の仕事は多種多様あったように思うが、一番緊張し責任を感じていた仕事は車の運転だ。
新しい公演地に飛行機から降り立つと、まずカーレンタルへ直行する。他に3名の運転手たち(勿論オイリュトミストや朗唱家)と共に、長々としたレンタル手続きを終え、10人位乗れるバンをそれぞれ運転しつつ、他のメンバーの元に向かう。
全てのスーツケース( 全てのスーツケースには、ドロテアお手製の毛糸で編んだ紐がついている )がちゃんとあるかどうか確認し、それらをすべてバンにきっちり詰め込む( 忘れ物は恐ろしい!! )と、メンバーが乗り込む。私も乗り込む。こんなに人を乗せて事故ったら、本当にどうしよう、とビビりな私は空恐ろしい気持ちでハンドルを握る。日常生活では、およそ東京静岡間に相当する距離を通勤のために週2回は走らせていたが、勿論こんな大きな車は運転しない。空港から公演地の宿泊施設には大抵1時間以上かかる。毎日手に汗握りながら、必死に運転した。
そんなある日、一人のオイリュトミスト(第2楽章ではイングリッシュホーン 担当)が、車に乗っていざ出発、という段になって、陽気なのんびりとした 調子で「今日の調子はどうだい、ゆうこ !」と声をかけた。大抵の場合、同乗者たちは気を遣ってか私に声をあまりかけない。 その日のバンは10人ほ ど乗れる大きな車だったせいか、私の背中は緊張感に満ち満ちていたのだろう。
彼は私のななめ後ろの席にやってくると、「今日はみんなでゆうこを応援する歌を歌おう~! 」と調子はずれの歌を歌い始めた。「ゆうこは~、今 日も~、ハンドルを握る~♬」彼の可笑しな歌に同乗者たちも皆大笑い、手拍子を打ち始めた。賑やかになった車内に、私も笑い、緊張が和らいだ。「きっと大丈夫、一人ではない。ありがとう」と思いながら、車線の多い、いかにもアメリカらしい高速をひらすら運転した。
沢山の事が日々起こった1か月だったにも拘わらず、一番の思い出はこんな些細な事だったりする。
今回もきっと山越え谷越えの道のりかと思うが、最後に一番残る思い出はどんな場面だろう、と今からとても興味深い。
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