エレーナ・ツコリーの『最初のオイリュトミーシューレでのトーンオイリュトミーの学び /シュトゥットガルト1922-1924』(”Aus der Toneurythmie-Arbeit an der ersten Eurythmie-Schule in Stuttgart 1922- 1924”)という小さな本の中に、初めてオーケストラオイリュトミーを試みた時の記録が残されています。以下にその部分を訳してみまし た。
「1923年ヘドウィヒ・ケーラーのもとで、オイリュトミー学校内で初めてオーケストラ作品(ブルックナーの交響曲第8番)がオイリュトミーによって試みられました。ルドルフ・シュタイナーはこの取り組みに関して、交響曲のオーケストラオイリュトミーの構成の原則を与 えました。まず中心点として、また意志衝動として打楽器が台の上に立ちました。管楽器は思考の力として周辺に向かって放射状に動き、 周辺では弦楽器が感情の表現として動きました。ヘドウィヒ・ケーラーは楽器の特徴を腕で表現することを試みましたが、ルドルフ・ シュタイナーはそれを認めませんでした。トーンオイリュトミーは見える歌であり、歌う要素はもっぱら腕が引き受けるから、というのが理由でした。楽器の特徴は、空間フォルムRaumformenにおける表現に委ねられるべきなのです。楽器のための空間フォルムを整える時には、イマジネーションから生まれた楽器の外的な形体から触発されるべきです。フルートの音色に関しては、ある特定の音楽作品に関し て、特別な手の仕草のヒントが与えられました。オーケストラオイリュトミーの原則が練習され、シュタイナーに見せた後、この原則は 舞台公演と共に変化していきました。かつて円形であったものは今度は半円になり、ティンパニーは後方に下がりました。」 エレーナ・ツコリーは、当時シュトゥットガルトオイリュトメウムの学生であり、ヘドウィヒ・ケーラーがルドルフ・シュタイナーに見せた交響曲の楽章を練習したグループにいました。ルドルフ・シュタイ ナーはこのオイリュトミーの上演後、オーケストラ作品をする際のオイリュトミーの基本フォルムを描きました。なおオリジナルのフォルムは残っていません。 ※ Toneurythmieのフォルム本 177ページ
次にルドルフ・シュタイナーの講演「人間の音体験」(“Das Tonerlebnis im Menschen”)第2講義(シュトゥットガルト、1923年3月8 日)を紹介します。 「. . . そもそも人間の音楽的発展とはどのようなものでしょうか? それは精神的霊的なことの体験から始まります。音の中で、音楽的な音形成の中で、精神的なものを現在化することから始まります。(やがて)精神的なものは消えてしまい、人は音の形成物Tongebildeを保ちました。のちに人は音を、精神的なものの名残としての言葉と結びつけ、そしてかつてはイマジネーションとして持っていた楽器を、物質素材から作り出しました。楽器が音楽的な気分を呼び起こす場合には、あらゆる楽器は霊界から取ってこられたものです。人はもはや精神的なものが見えなくなったので、空っぽになった空間を物質的な楽器を作ることによって満たしたのです。そうしてそこに物質的な楽器 を据えたのです。 唯物論の時代への移行がどのように生じたかは、他の領域よりも音楽領域においてよくわかります。楽器が響く所では、かつてはそこに霊的な存在たちが立っていました。しかし彼らは去り、太古の霊視からは消えてしまいました。人が音楽的なものを客観的に手に入れようとするなら、外的な自然の中にはない何かを必要とします。自然は人間に音楽的なものと相関関係にあるものを与えないので、楽器を必要とするのです。 もちろん、音楽は人間全体で体験され、楽器はその複製であることは明らかです。管楽器は人間の頭を通して体験される音楽の表れです。弦楽器は胸を通して体験され、特に腕で表現される音楽を生き生 きと表します。打楽器あるいは弦楽器から打楽器までの楽器は、3番目の要素である四肢を通して体験される音楽を表します。弦楽器が和声と関係しているのに対して、あらゆる管楽器はメロディーととても密接な関係があります。そして打楽器に関連するものはより内的なリズ ムを持ち、リズムと親和性があり、その中には人間全体がいます。そしてオーケストラは一人の人間です。ただピアノだけはオーケストラには含まれません。」
※本によってドイツ語が若干違います。上記の翻訳はGA283, “Das
Wesen des Musikalischen “ を参考にしました。
中谷三恵子 2021/11/22
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