「水上」への道
「土手のすかんぽジャワさらさ〜」
「たあんき、 ぽうんき、 たんころりん。 たにしがころころないている〜」
「春は早うから川邊の葦に、蟹が店出し床屋でござる。チョッキン、チョッキン、チョッキンな」
子どもの頃に意味もよくわからず、踊るような言葉のリズムが面白く声に出すのを楽しんでいました。
これらは、みんな北原白秋の詩です。
それからしばらく白秋から遠ざかっていましたが、大人になって自分の知らない白秋の詩に出会って、まったく戸惑ってしまいました。
あの白秋さんはどこへ行ってしまったのだろうと。
それでも「水上」に想いを馳せながら、しかもその「水上」に一歩も踏み込めないままに時が流れました。転機が訪れたのは『日本語のオイリュトミー』を考えていく中で「古事記」に取り組むようになってからです。
「古事記」を読み進めていくと、白秋の「水上」への思いが強くなっていきました。
「水上」は『海豹と雲』という詩集の中の一編ですが、その中でも『古代新頌』というまとまりの冒頭を飾る詩です。『古代新頌』という表題の中に、「水上」の全てが込められているように思います。
それは「水上」への旅路であり、死と再生であり、そしてオイリュトミーで日本語をほめ讃えることへと連なっていきます。
田原眞樹子
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