さて 今回は久々に、にもメンバー向け発行の、にも通信「架け橋」第4号からの投稿です。我らが“縁の下の力持ち"のお一人であるピアニストからの寄稿を2回に分けてお届けいたします。
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それはとても寒い冬の夜、暮れも近くなったチェコのプラハの街で、1993年でしたでしょうか。私は黒く光る石畳の通りを小走りに友人とプラハのオーケストラの演奏会に向かっておりました。
「ねえ、きっとチケットももう売り切れだと思うよ... あきらめて今夜は街をゆっくり見て歩こうよ。あと2日しか時間がないんだし。」と気の進まないのをドイツ人の友人は隠せず、オーケストラの演奏会だったらドイツで一流のが聴けるよとでも言いたげです。
確かに、その当時ドイツに留学していた私は素晴らしい演奏会やオペラに行ったり等よい音楽体験をする機会に恵まれていました。
でも 今、生まれてはじめてプラハを訪れることができたのです。 1989年チェコの共産主義体制が崩壊して4年経って、たくさんの観光客が古い中世の街並みがそのまま残るこの街を訪れるようになっていました。私もここを訪れて演奏を聴くことが小さい頃からの夢でした。
子供の頃にスメタナ作曲の「モルダウ」のレコードを庭に面した縁側で窓を開けたまま聴いていたのを覚えています。小さい庭ながら木や緑が風にそよぐ自然の中で聴くモルダウの調べと庭に立った私は周りと一体になって、その一瞬が何か永遠のように感じた体験が自分が音楽家になりたいと思った原点かもしれません。
モルダウ川やまだ見たことがない風景を思い浮かべながら聴いていたそのレコードはチェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏で、もう片面はもちろんドボルザークの「新世界より」でした!
とても好きで何回も聴いていましたが、今思えば特に短調の自然音階を使って書いてあるメロディーはとてもなつかしい気持ちがして、心が引き込まれてしまったのを覚えています。
「ドン ジョバンニ」の初演が行われたエステート劇場このような音楽や劇場の伝統歴史あふれる街で、今夜何かが起こるに違いないという予感とともに、私達はやっと演奏会場にやって来ました。
そのRudolfinumという会場はネオルネサンス様式の建物で1876年から1884年に建てられたそうです。その中にあるドボルザークホールで演奏会は行われるのです。
(その時は知らなかったのですが、そこで1896年にチェコ フィルハーモニー管弦楽団がドボルザークの指揮のもとで産声をあげたそうです❗その時のプログラムの中には「新世界より」も! ドボルザークの指揮した新世界。。。ああ聴きたかった !)
そんな昔の記憶をよみがえらせながら、古いプラハの街をふと見ながら歩いているうちに私はもう1人愛してやまない大作曲家のことも考えていました。 プラハ(チェコ)はウィーン古典派時代、ハンガリーと並びオーストリアハプスブルグ王朝の統治下にあって、モーツァルトのゆかりの地でもあります。 スラブのこの地でプラハの人々に彼の音楽は熱狂的に迎えられ、彼のオペラの中でウィーンでは上流階級や貴族から受け入れられなかったものも、上演は大成功をおさめたのです。 オペラ「ドン ジョバンニ」はプラハで作曲され自演で初演されています。(ちなみに映画、アマデウスはプラハの街でロケをしているそうです)
プラハには小さな劇場がたくさん連なる通りがあり、あの前の日も色々な芝居を見て、音楽と言葉が結び付く人間の感情表現の芸術は最高のものだと考えたものでした。 ドボルザークも16歳でプラハでオルガン学校で勉強していた時に作曲家を志しながらきっとモーツァルトのオペラを劇場で観ていたのかもしれません。生涯で11も書いています。彼の芸術はこのような伝統のもとに育まれ、音楽と言葉はきっと現代よりもずっと密着したものだったのかもしれません。(大羽 美菜子)
--つづく
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